2014.12.9 特定秘密保護法に関する社会委員会見解

特定秘密保護法に関する見解

2014年12月9日
JECA全国社会委員会

JECA全国社会委員会は、特定秘密保護法に関してJECA内外に対し次のような見解を公にします。

◎見解
2014年10月14日、安倍内閣は、特定秘密保護法の運用基準を定め、同法を12月10日に施行することを閣議決定しました。
全国社会委員会としては、特定秘密保護法の危険性に注目し、2013年11月、全国の各加盟教会に、祈祷課題を提出させていただきました。そして、法案が強行採決され、成立、施行に向かって行く国政の動きに注目しつつ、対応について検討して参りました。
2014年12月10日の施行が目前に迫った特定秘密保護法に対し、反対の声が、JECA内外の牧師から上がっておりますが、JECA内には、様々な意見があることも事実です。
特定秘密保護法への反対行動に対し、「教会代表者の反対は、教会としての政治的立場を表明することになるのではないか。」「安易に反対の時流に乗る行動ではないか。」という意見もあります。
そこで、全国社会委員会は下記のような考察と理由から、今後のキリスト教会に大きな影響を与える可能性がある特定秘密保護法の施行に対する今回の閣議決定と法施行に反対します。

1、政治的な事柄への対応
主イエス様は、「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」(ヨハネ18:36より)と言われ、キリストにある神の国に属する教会とキリスト者は、この世の政治的な問題に関わるべきではないという考えが、福音派の教会の中にあります。ローマ13:1には、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」とあり、国の政治的な事柄には従うべきであり、反対は慎むべきだというわけです。
しかし、「上に立つ権威(国)」に従うのは、国が神によって建てられた権威として、その権威を正しく用いることが前提になっており、国が神のみこころに反することを推進する場合は、教会には、国が権威を授けた神のみこころに適うものとなるように、祈り、また関わる責務があると考えます。
イエス様のみことばからも、教会がこの世の国家の役割を代わりに担うということはないでしょう。しかし、国の政治的なことには意見すべきではないというのは、聖書が語っていることではありません。そして、国家のあるべき姿を、聖書に基づいて論じるということは、むしろ教会が国家に対して負っている重要な責務であると考えます。
私たちJECAは、かつて日本の教会が、過ちに陥った国に従い、侵略戦争に加担するという取り返しのつかない大きな過ちを犯したことを確認し、その罪責を告白しました。日本のほとんどの教会は、その過ちの中で、再臨信仰を堅持したために弾圧を受け、迫害されている教会(ホーリネス教団、美濃ミッション等)を見捨てただけでなく、彼らに再臨信仰を捨てるように圧力をかけることにより、再臨信仰さえも否定するという愚かな道を選択したことは決して忘れてはならない事実です。教会が、そのような道に進んでしまった理由は、国に意見すると非国民とみなされ、伝道が困難になるという不安や、国の中で異分子になることを避けようとした結果だと言われています。確かに、牧師が国とぶつかり、教会が地域から浮き上がってしまえば、伝道もできなくなり、教勢は落ち、教会の存続も難しくなることは容易に予想できます。そんな不安から、信仰を曲げたり薄めたりしてでも、伝道と教会を維持できるようにしたくなる。それが日本の教会とキリスト者の心理だったと考えられます。
もし、今日の教会が、かつてのように国がみこころに反する方向に進もうとする動きを見せている時に、ただ放っておき、なんの関わりも持たないならば、ただ従うという、かつてと同じ過ちを繰り返すことになる可能性が非常に高いと考えます。
それでも、「あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。(使徒5:38)」と律法学者ガマリエルが語ったように、教会は政治的なことは放っておいて、関わらないという立場を貫くべきだという考えもあります。しかし、国は教会を放っておかないのです。敗戦はしましたが、それまでの間に教会に多大なるダメージを与えたのです。

2、現代版治安維持法としての特定秘密保護法

教会に最もダメージを与えたもののひとつが、治安維持法です。特定秘密保護法は、天皇制や私有財産制を否定する結社を禁じた戦前の治安維持法との類似が指摘されています。軍事や政治の機密を定めた軍機保護法や国防保安法などに比べ、言論統制という観点では、特定秘密保護法は、治安維持法に近いと多くの法律家によって指摘されています。
当初、「共産主義の取り締まりに限定する」と政府が約束して1925年に成立した治安維持法でしたが、同法は二度、改定されました。最高刑は当初、特定秘密保護法と同じ懲役10年でしたが、成立の33年後に最高刑が死刑となり、日米が開戦した1941年の改定では、取り締まり範囲が広がって結社の「準備行為」と当局がみなすだけで検挙が可能となりました。国民からの反対がさほどないまま法律ができ、国家権力が都合よく使っていった結果です。結局、対象は共産主義からジャーナリスト、宗教者に広がり、最終的に全国民に拡大しました。このような治安維持法の変遷と並行して、30年代以降、国家総動員法や国防保安法といった言論統制の法律が次々とできました。39年公布の軍用資源秘密保護法では、航空機が兵器として使われるようになったため、天気予報や気象情報も軍事機密になりました。
教会の牧師も、治安維持法違反に問われ、捕らえられる人々もありました。獄死した牧師もいます。どんな罪に問われたのか、裁判の内容など、いまだにはっきり分かっていません。憲兵隊員に面会した教会関係者の証言などから推測されているのは、牧師が神社に参拝せず、信者にも神社参拝をしないように指導したとされたことや、戦争に反対したとされたことが、治安維持法や陸軍刑法の違反に問われたのではないかとみられています。
1942年6月26日には、全国の教会の教職者100人余りが一斉検挙される弾圧事件が起きました。検挙の理由は「教理に国体を否定するものがあり、布教活動が治安維持法に違反する」とされたためです。この事件は当局によって記事差し止めとされて報道されず、信者たちに口から口へと伝わっていきました。しかし、プロテスタント教派の合同で1941年に成立した日本基督教団は、「静観」の態度を取り、検挙への抗議や検挙された人々を守る行動は起こさなかったのです。そして、弾圧を受ける教会は、迷惑な存在とみなされ、弾圧を静観する教会から、国への抵抗をやめるように強要されるという迫害を受けたのです。こうして、その弾圧はキリストの体である教会をも引き裂いたのです。
これらは、国が戦争反対をどう封じ込めることに躍起になっていた時代に、教会が政治的なことは放っておいて、信教の自由のために戦わなかった結果、起きてしまった出来事です。
集団的自衛権の行使容認が閣議決定された今日、特定秘密保護法も、戦争準備が進んで行く中で変貌しながら、その他の新法とセットになって、言論統制と教会弾圧を行い、教会が再び深刻なダメージを受けることもあり得ると考えます。
預言者エレミヤは、みこころに反した歩みを続けるユダ王国に対する主のみこころはバビロンへの抵抗ではなく、降伏であることを語り続けました。そのために、何度も獄死しそうな危機にさらされました。エレミヤや、その他の預言者も、いつの時代も、政治的なことにも関わり、語り続けました。
私たちキリスト者も、現代の預言者の役目を持つ者です。戦後の教会はその役目をどれだけ果たして来たでしょうか。そのことの反省も踏まえつつ、私たちが「平和をつくる者」「公義を行う者」となるべきことをみことばが教えていることを覚えつつ、キリストの教会に大きな被害をもたらす可能性が予想される特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認に対して反対すべきであると判断いたします。

3、憲法との関わりにおける特定秘密保護法
特定秘密保護法は、日本国憲法の「立憲主義」の理念と「恒久平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」の三つの基本的原理を根底から覆そうとするもので、まさに民主主義国家を崩壊させるものであるという警鐘が、法律家たちから鳴らされています。
特定秘密保護法が施行され、また集団的自衛権の行使によって戦争に突入するならば、言論統制が強化され、そして戦争をしないはずの日本国民や戦争に巻き込まれる人々の人命が失われ、基本的人権が損なわれる事態が生ずることになります。
私たちは、そこに注意を絶えず向けて、キリスト者市民として国家が神のかたちに創造された人間の尊厳を尊重するように、この世における見張り人、また預言者としての働きを大切にすべきであると考えます。

◎これからの課題
上記の見解を基に、社会委員会は、以下の課題を私たちの課題と考えます。
1特定秘密保護法や、それに関わる様々な問題や危険に関心を持ち、真摯に学び、警告を発する預言者的使命を果たします。
2特定秘密保護法の問題点を把握し、同法の廃止や改正を含めた、信教の自由、思想信条の自由が守られる日本国となるために、その道を探り、祈り、また力を注ぎます。
3今後の選挙において、選挙権が与えられているキリスト者には、日本国民として主権が与えられており、神がお立てになる権威がゆだねられていることを覚えて、各々が神の正義に近づく政治となることを祈りつつ、投票することを呼びかけます。