歴史と沿革

■■■日本福音キリスト教会連合の性格と特色■■■

日本福音キリスト教会連合(Japan Evangelical Church Association:JECA)の特色は、

第一に、信仰告白に基づく結合であるということです。

第二に、聖書の権威を全面的に受け入れる群れであるということです。

信仰告白では、第一に「聖書は、旧新約66巻からなり、すべて神によって霊感された、誤りのない神のことばである。聖書は、神が救いについて啓示しようとされたすべてを含み、信仰と生活との唯一絶対の規範である。」とうたい、歴史的福音主義信仰の告白各項を記しています。

日本福音キリスト教会連合は、その名のように、福音主義に立つ教会の群れです。聖書を誤りない神の言葉として信頼し、これに服従する歴史的プロテスタントの基本教理を堅持する立場を持っています。しかし、それと共に、広く福音的な教派、教会、諸団体と協力する開かれた群れです。欧米の無教派宣教団によって開拓形成された教会として、教派教会に比べて各個教会の自立性を重んじる特色をもっています。また欧米の無教派宣教団を生み出した敬虔主義的信仰を受け継ぐ教会としての特色を持っています。

日本福音キリスト教会連合規約前文には、「普遍的なキリストのからだに属している諸教会が、キリストにあって一つとされている事実を、地上で具体的に表現していくことは、主のみこころである。」と唱いました。その精神の中に、教会連合の教会観の基本的理念・性格が表されています。

■■■日本福音キリスト教会連合設立までの経緯■■■

1968年5月、信仰告白と教会政治をほぼ同じくするリーベンゼラ、新約、単立連盟の三者の教会協力委員による第一回教会協力委員会が開かれ、協力や合同についての公式の話し合いがなされました。

1986年4月、三者は組織的合同への中間的段階としての「キリスト教会中連合」を発足させ、その後1987年に北海道福音教会協議会が中連合に加わりました。四者の代表によって構成された中連合協議会と合同専門委員会の働きによって、また、四者のそれぞれの実行機関と諸教会との話し合い等の働きによって、合同への準備が徐々になされました。

四者は「教会は、キリストをかしらとするからだとして一つである。この祝福された事実は地上の教会のいとなみの中で告白され、証言されなければならない。同じ主によって建てられながら、それぞれの生い立ちの背景や、そのあり方、言語表現の違いなどによってへだてられた地域教会、教団が、できる限りそのへだたりを解消し、聖なる公同の教会に属するものとして、よりふさわしいあり方の具体化を求めることは主のみこころであると信じる。」との理想のうちに燃えて、それぞれの組織を解消して、1992年4月29日、横浜で主の摂理のうちにキリストにある「日本福音キリスト教会連合」(略称:教会連合/JECA)を設立しました。

■■■リーベンゼラ・キリスト教会連合(Japan Liebenzeller Church Association)■■■

リーベンゼラ・キリスト教会連合は、南ドイツのヴィッテンベルク州、バート・リーベンツェルに本部がある「リーベンゼラ・ミッション」の働きによって生まれました。

このミッションは(中国奥地伝道団、現在のOMF)のドイツ支部として、1899年、北ドイツのハンブルクに誕生しました。当初、宣教活動は中国および南洋諸島で行われていました。日本には、1927年、宣教師が渡来し、農漁民、労働者階級への宣教を開始し、いくつかの教会を形成しましたが、第二次世界大戦中と戦後の混乱期に、それらの教会は他の教団に所属するに至りました。

1951年再びモジマン宣教師が来日し、川崎市中野島に本部を置いて宣教を再開し、宣教の情熱に燃える宣教師たちが、主として茨城県下の農漁村に対して宣教活動を展開し、1961年までに13教会(うち2教会は神奈川県)を数えるに至りました。

1960年から1965年までの5年間は、宣教師と、宣教師会によって委嘱された日本人伝道者から成る「伝道協力委員会」によって、群れは運営されました。この5年間に、さらに8か所で開拓がなされましたが、そのうち4か所は神奈川県下でした

リーベンゼラ・キリスト教会連合の特徴は、ドイツの敬虔主義の精神を受け継いでいるということです。すなわち地道な聖書の学び、個人的回心の体験、それに基づく敬虔な信仰生活、宣教の熱意の強調などです。言い換えれば、基本的教理において妥協しない福音主義の立場を取り、特に聖書の権威に関して強固な信仰(完全無謬性)を保持するとともに、正統的信仰箇条が守られているということだけでなく、その神学が日常の生活に生かされていくべきことを強調していることです。

■■■日本新約教団(Nihon Shinyaku Kyodan)■■■

(1) 極東福音十字軍(FEGC)

第二次世界大戦の終わり頃、マニラ駐屯米軍の中に多くの熱心なクリスチャンがおり、伝道活動をしていたが、終戦とともに、その一部が日本に移動して、孤児救済と伝道をしました。これらの活動に携わって来た者の代表16名が、帰米後の1947年に、デンバー市で「極東福音十字軍(ファー・イースタン・ゴスペル・クルセード=FEGC)」を設立して、超教派の宣教団体として活動を始めました。

当初は大衆伝道を主としましたが、後に教会建設を目的とするようになりました。1950年には約30名の宣教師が日本宣教に加わり、主に関東地方の山村へと伝道を開始し、順次教会が生まれて行きました。なお1981年に極東福音十字軍は名称が変更されて、センド国際宣教団(SEND International)となり、日本や東南アジアに限らず、働きの範囲が広がっています。

(2) 福音宣教協力会の設立

極東福音十字軍(後のセンド国際宣教団)の働きによって東京、横浜、首都圏周辺地区と山梨や埼玉の農山村地に出来た15の教会のうちの9教会によって、1958年に宣教団とは交わりを持ちつつも、一応別個の組織として福音宣教協力会が設立されました。

加盟したのは、東京新約(中野)、八王子、古里(青梅)、身延、韮崎、皆野、野上、東松山、泉(宇都宮)の9教会でした。 その目的は、何よりもキリストのからだなる教会の形成というところにありました。

(3) 日本新約教団の設立と特徴

ところが、このような教会の交わりを主体とした福音宣教協力会では、歩み始めたばかりの教会の直面している様々な問題への対応の面においても、また教会の本来あるべき姿という面からしても、十分かつ適切なものとは言えませんでした。

そこで、3年後の1961年10月、より深い教会的一体性を求めて日本新約教団を組織しました。(このとき教団に加わったのは、八王子、青梅、東松山、野上、富士見が丘、寄居、甲府、身延、都留、横浜の10教会でした。)

「キリストのからだである教会」の建設という目的は受け継がれ、より積極的に取り組まれていくことになりました。

日本新約教団は、このようにセンド国際宣教団の働きを土台として形成されてきた教団ではありますが、明確な聖書信仰に立つということの他は、特定の教派信条を持つ教派教団ではありませんでした。

信仰告白委員会の働きを中心に、教会観(教団と各個教会のかかわり、教団の組織・運営のあり方等)について、教会観の歴史的な学びを続け、本来一つである教会が、どのように、実際的、具体的に一つになってゆけるかは、新約教団の大きな関心事であり、目標でした。

■■■単立キリスト教会連盟(Association of Evangelical Churches in Japan)■■■

(1) TEAM(The Evangelical Alliance Mission)

単立キリスト教会連盟は設立当初よりTEAMとの密接な関係にありました。

TEAMは1891年に創設されたスカンジナビア・アライアンス・ミッションが前身です。

在米スウェーデン人の篤信な信徒たちによって結成された伝道団体であって、創始者フレデリック・フランソン(1852~1908)師の指導と祈祷により、次第に発展、多くの宣教師が世界の各地へ派遣されました。

中国奥地伝道団のハドソン・テーラーが「中国に千人の宣教師を与えよ。」と世界の福音主義キリスト教界に訴え、この叫びに呼応してフランソンは宣教献身運動を欧米各国で展開したのです。

1949年に宣教団はゼ・エバンゼリカル・アライアンス・ミッションと改称しました。

(2) 単立キリスト教会連盟の設立と特徴

単立キリスト教会連盟は、1964年12月にTEAMの宣教師によって形成された教会と、背景の異なる単立教会が懇談のために集まったことから始まりました。懇談の目的は、単立の教会であることで陥りやすい孤立や独善の危険を避け、本来一つであるキリストのからだにつながるものとして、共に教会の使命を担いあっていくにはどうしたら良いかを探るためでした。

1965年3月に東京世田谷の朝顔教会で設立総会が行われ、1965年4月1日単立教会が協力し、キリストのからだとしての教会全体の中で自らを位置づけ、その責任を果たしていくという目的の下に18教会が加盟しました。

1973年には東洋ローア・キリスト伝道教会(東洋ローア・キリスト伝道教会は、ろう者としての特別な必要から、ろう者の、ろう者による伝道を目指しています。)が単立連盟に加盟しました。

単立キリスト教会連盟の特徴は、連盟加盟の各個教会の自立性を土台にし、共にキリストのからだに属する教会としての交わりと協力を持っている点にありました。

連盟は

(i)聖書的正統信仰の保持

(ii)各個教会の自立

(iii)教会の一致と協力

という三本柱としました。

特に教会の一致と協力に関しては、連盟は加盟教会の間だけでなく、その周辺にある教会、教派、教団を含めてのキリストの教会の一致と協力に役立つ存在とされること、つまり、福音主義の信仰告白と会衆政治を共有する群の協力および同じ信仰的告白に立つことを根底とした活動を目標として掲げました。

連盟は(1)北海道・東北、(2)関東、(3)中部、(4)四国の四地区に分かれ、地区の教会間の交わりがなされました。

■■■北海道福音教会協議会(Hokkaido Evangelical Church Association)■■■

(1) 国際福音宣教団(Overseas Missionary Fellowship OMF)

国際福音宣教団はハドソン・テーラー(1832~1905)が創設した中国奥地伝道団が母体です。

ハドソン・テーラーは1865年に中国奥地伝道団を組織し、杭州、楊州をはじめ、広範囲にわたって盛んな宣教活動を展開しました。困難な諸問題に直面しながらも、その不屈の精神と強い信仰に支えられた勇気をもって乗り越え、またできるだけ現地民の風俗習慣にそった生活をなし、それによって、多くの人々に感化を与え、同宣教団の会員も増加して、その活動は発展しました。

そしてハドソン・テーラーの死後も同宣教団は発展しましたが、1949年の中華人民共和国の成立のため、宣教師たちは中国から国外退去をしなければならなくなり、名称を国際福音宣教団と変えたのです。

(2) 北海道福音教会協議会の設立と特徴

北海道福音教会協議会は、中国において革命後伝道が不可能となって1952年に来日した国際福音宣教団によって、青森と北海道道南の森、倶知安、日高門別、様似、三笠、赤平、歌志内、更に札幌、函館、砂川、小樽、千歳、岩見沢で、<未伝地伝道>として開始された宣教活動によって形成された教会が集まってできました。青森では青森県福音キリスト教会協議会が誕生しました。

国際福音教会協議会の宣教師によって形成された教会の信徒が霊的向上と信仰の育成・強化のため互いに協力して年一回新年聖会を持つようになり、1962年にはじめて、協議会発足のための相談会が開かれました。

傘下の各個教会は開拓当初からOMFによって連携による教派形成を抑制されていたため、主活動を交わりに限定した会とすることで一致し、1965年1月3日、北海道福音教会協議会が組織されました。

1966年4月29日の総会で承認された規約は、北海道における福音的聖書信仰に立つ教会の向上のために、霊的な交わり、宣教活動の協力、経済的互助を行なうことを目的としました。

1985年には、北海道聖書学院を、協議会の推薦校とすることを決めました。